2月1日、寺猫ビャクが心不全のため旅立ちました。今年で22歳、大往生でした。ここ数ヶ月は甲状腺の機能が亢進していたため獣医さんのお世話になりながら元気にしていましたが、今年に入り心臓に水がたまるようになり、呼吸が乱れることが多くなりました。亡くなる朝まで元気にご飯を食べていましたが、呼吸が浅くなり病院へ連れて行きましたが、生きて戻ることが出来ずに眼を閉じました。
20年以上寺猫として生きてきた思い出は数えきれず、なかなか冷静に記事を書けなかったのですが、亡くなってからひと月が過ぎ、ようやく落ち着いた気持ちで文章が書けるようになりました。お参りの方々や葬儀社のスタッフの方々に可愛がってもらうのが大好きで、料理屋さんからは刺身の残りや切れ端を頂いては満足そうにしていました。まずは、これまでお世話になり可愛がっていただいた皆様には、心より御礼申し上げます。
安洞院住職 横山俊顕 合掌
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写真の整理も一段落しましたので、ここから先はビャクの追悼のため、元気だった頃の写真を掲載いたします。親バカですみません。少々長くなりますので、猫好き、或いはビャクと遊んで下さった方々など、興味のある方だけご覧ください。
式典スタッフの方々に遊んでもらい、式場の椅子で寛ぐの図。
人が大好きでした。
寺猫ビャクは安洞院の看板猫でもありました。ハッシュタグ #今日のビャク では、たくさんの方からコメントをいただきました。真っ白な外見は雪景色でも紅葉でも、御朱印でもよく写真映えしてくれました。
豪快なあくびはスマホの連写機能でよく撮影したものです。
食欲も旺盛で、なぜかうなぎパイをよく食べたのでした。
住職の朝は早く、夏はだいたい3時起床、冬は4時起床です。私が廊下を歩く音を聞くと、すでに事務所の前で鍵が開くのを待っていたものです。朝が辛い時でも、待っている猫がいると思うと頑張れた気がします。
夜遅くの作業ではデスクの周りにお供してくれました。コピー機の上で暖を取る時には、期待を裏切らないショットを提供してくれました。肉球をカラーコピーして経費を無駄遣いしたことは多少反省しています。
いつまでも若くいることは叶わず、20歳を過ぎた頃からは次第に老いた空気をまとうようになっていきました。軟骨がすり減ってジャンプが出来なくなりましたが、それでも境内のネズミは一匹残らず駆除していたようです。
思い出は尽きませんが、今は寂しさよりも20年以上も長く一緒に寺で過ごしてきたことへの感謝の方が大きいと感じています。私(住職)が修行から戻ったのは平成15年の3月なので今年で勤続19年。安洞院での勤務はなんとビャクの方が3年先輩なのです。数々の困難や早朝深夜の激務を支えてくれたのは、家族はもちろん、この一匹の小さな命でした。
いつもペット供養で申し上げている、「動物はいのちの先生である」ということ。
小さな手のひらサイズの子猫が立派な雄猫となり、老境に入り、病の中みなに支えられて旅立ってゆく。人間よりも短い寿命の炎を燃やして教えてくれることは、お釈迦様の説いた生老病死の教えそのものですね。
時は2月。本堂に飾られた涅槃図の前に数日静かに過ごし、福島市のあぶくまクリーンセンターにて荼毘に付され、山内にて納骨式を執り行いました。
これまで可愛がってくださった皆様、いつもおやつやお土産を持ってきてくださった皆様には、感謝の念でいっぱいです。本当に長い間、お世話になりました。
檀信徒の皆様には、昨日発送の毎月のお便りにてご報告させていただきます。
合掌
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