ここ数年の仏像ブーム、御朱印ブームも一段落したような雰囲気がありますが、さらに一つ進んだ展開になっていると感じる時があります。
ブームが一巡し、全国の名刹古刹秘仏名仏を巡り終えた人たちが、地方の小さな寺社や秘境の仏像を求めて巡る姿を目にする時があります。
安洞院の周辺にも薬師堂や観音堂が点在しており、その仏菩薩を拝みたいというご依頼や御朱印をお願いされる事も年々増えてきました。
今回、保原町の大田ふるさと大学からのご依頼でガイドしたのは、安洞院周辺の薬師堂二ヶ所。いずれも18世紀初頭に修繕された古文書が残されており、江戸初期頃には建てられていたと思量されます。
境内にある薬師堂には西国三十三観音を模した三十三観音が奉納されており、その記録には一人一体の寄付を納めた明治初期の年号が記されています。
明治初期といえば各地で廃仏毀釈運動が起こり、多数の寺院が廃寺となった時期。そのような時代に信仰を守り続けてきた先祖がいたという事実には、手を合わせるばかりです。
さらに記録を紐解くと、仏師の名前までは出て来ないものの、当時の会津の仏師に彫らしめたという記述あり。幕末の動乱を経た戊辰戦争後の会津の仏師たちがこういった場所で後世に残る仕事をしていたのです。果たしてどんな思いで仏像を彫っていたのでしょうか。
石階段を奉納した寄付者の石碑。
風化せずにきれいに守られている。
車など通れるはずもなく、一筋縄では行かない場所ばかり。
野を越え谷を渡り、仏像に会いに行く秘境感が何ともいえません。
暑い午後。汗を拭いながら仏を探します。
寄木造りの木像。江戸初期頃のものと思われます。数百年の時の流れの中、風化に耐えながらこうして鎮座する姿は、本当に尊いものです。
地域社会の高齢化の中、このようなお堂は藪のなかに埋もれていくものも少なくありません。地域の古老や信仰心篤い人々により何とか守られているというのが現実です。
遠くの仏像よりも、案外お近くのご近所に、素朴な表情であなたを待っている仏像がいらっしゃるかもしれません。
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