地球の裏側で(1)パラグアイのお寺に行ってきました

<画像:パラグアイの拓恩寺門景>

こんにちは。住職です。

このたび仏縁をいただいて地球の裏側まで行ってきました。行きはスイス・チューリッヒを経由してブラジル・サンパウロへ。そこからブラジル国内線を乗り継いでパラグアイ国境付近のFoz do Iguaçu空港に飛んで、現地の方の車に乗って陸路で国境を越えてパラグアイへ。移動だけで2日間を要します。過去最長の移動距離を更新しました。

写真:ブラジルから橋を渡りパラグアイ・エステに入る国境付近。ブラジルはポルトガル語、パラグアイはスペイン語が公用語のため、看板表記は英語との3ヵ国語の表記となります。


南米の大国ブラジルとアルゼンチンに挟まれた小国パラグアイ。かつては1930年代から国策で多くの日本人が入植した歴史がありますが、その中でも日本で最後となる最も新しい入植地であるイグアス居住区(1960年代の戦後の入植地)には、10年前に創建された曹洞宗寺院があります。その名も「拓恩寺」。当時はジャングルのような山林だった地を開拓した日本の先人たちへの恩に報いるべく、日本の僧侶と現地の人々の尽力によって2014年に開かれました。

<画像:大般若祈祷会の様子>

イグアス居住区には日本でもお馴染みの赤い鳥居が公園の前に鎮座し、日本人会(通称「ニッカイ」)の建物や農協などがあり、公用語のスペイン語や原住民の言葉であるグアラニー語のほかに、街のあちこちで日本語が聞こえてきます。3日間の短い滞在でしたが、気がつけば日本語ですべて用が足りてしまうため、海外にいることを忘れてしまう程でした。


<画像:イグアス日本人会と日本語学校>

拓恩寺の歴史や住職についてはまた別の記事にて紹介しますが、今回は開山10周年の記念法要として日本からも僧侶や檀信徒の有志が参列し、私もご一緒に随行させていただきました。


南米にはブラジルのサンパウロに曹洞宗の南米布教の中心である「曹洞宗南アメリカ国際布教総監部」(佛心寺)があります。当初の日系社会中心の先祖供養の信仰から、現在はさまざまなルーツを持つ現地の人々が坐禅や仏教への関心から、出家得度や参禅者として寺院に足を運ぶケースが増えています。


これは欧米でも同様の状況であり、現在曹洞宗では北米、南米、ハワイ、ヨーロッパに布教総監部が置かれ、国際布教師や現地の僧侶の活動の拠点として日々布教活動が行われています。

今回も南アメリカ国際布教総監部から日本人僧侶が参列したほか、ペルーやブラジル各所で生活する現地の僧侶らが集い、拓恩寺の参禅者や日本からの僧侶が一丸となって厳粛なる曹洞宗の法要が営まれました。言語は日本語とポルトガル語のミックスです。

<画像:右より修行僧の第一座を務めた首座、介添役である書記、弁事の皆さん>

私は主にシャンティ国際ボランティア会理事の関係から東南アジアが主たる訪問先でしたが、今回は初めての南米大陸、しかもパラグアイのイグアス居住区に滞在するという、実に稀有な体験となりました。現地にはJICAの職員やバックパッカーなどの旅人が時おり来るもの、その距離や地理的条件から日本人観光客や日本のNGOなどの支援が入ることもほとんどありません。

地球の裏側でも人から人へと相承されていく宗門の一仏両祖のみ教えとともに、現地の人々の移住の歴史や日本人のアイデンティティについて、私自身も何度も立ち止まり自問自答する学びの旅となりました。

日本人であることが当たり前すぎて、自分のアイデンティティはと問われるととっさに答えられる日本人はそう多くはないと思います。私もそうかもしれません。数日でしたが毎日毎日誰かと話しをする中で、もしかするとイグアスの人たちが最も日本人であることの気概や自覚をもって生きているのではないかと感じました。

また別の記事で書きますが、そのようなイグアスでも次第に混血と日常の環境の変化に伴い、ここ最近は大きくその環境が変わりつつあるとのことです。

今後不定期とはなりますが、現地で出会った人や場所、感銘を受けたことや仰天したことについて、こちらのブログ記事に残してまいります。

今後、パラグアイに行くどなたかが、ネットの片隅に残るこの記事を見つけていただければ幸いです。<つづく>


安洞院住職 横山俊顕


<画像>拓恩寺住職・ブルーノ正栄師(中央)とお母様(右)と筆者(左)

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