「平気で生きる」〜坐禅とお寺ヨガの会より〜

1月31日、今年初のお寺ヨガと坐禅の会は満員御礼14名の皆様と共に坐りました。坐禅はいす坐禅にも対応しており、足腰の悪い方やご年配の方にも体験していただけます。基本的にヨガと坐禅はセットですが、坐禅のみご参加の方も受け入れています。


「平気で生きる」

今月の法話のテーマは、「平気で生きる」ということをお話ししました。

この言葉は、ここ最近だと樹木希林さんのエッセイ『一切なりゆき』の中に登場します。


「おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」


とはいえ、私たち人間はそうはいかない生き物。だから、悩み、苦しみます。いいことがあればおごり、常に他人と比較しながらベンチマークの基準を求め、面白さよりも人の目を気にして、平気には生きられない。私自身も常々そう思う時があります。

坐禅の導入では、まずはすべてを放っておくことから始まります。

良いものを引き止めず膨らませず、いやなものを追い出そうとせず蓋をせず、まずはそのままに。私が私であるという条件をひとつひとつ脱ぎ捨てていくように、数十分でもこの感覚を大切に、ただ坐るという時間を持ちます。坐るから偉くなったり資格をもらえるわけではないし、良くなるとか悪くなるとか、そういった結果も一度傍に置いて、放っておきます。うまく行く日もあれば、そうでない日もある。それでいいと思います。


この「平気で生きる」という言葉は、この地、文知摺観音普門院に足を運んでいる正岡子規(1867~1902)が、結核の病に侵される闘病中に連載した随筆、『病牀六尺』の中に記しています。子規はその後34歳の若さで早逝しました。文中に曰く、


「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。

悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、

悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた」

ー『病牀六尺』(岩波文庫)


どんなに苦しい病の中でも、書くことに喜びを求め日々を記録し続けた子規の言葉は、樹木希林さんの言葉とも通底するものを私たちに問いかけてきます。

平気で生きる。文字では数文字ながら、これを実践するのは大変なことです。どのような中にあっても他人と比べず、自分の感じて為すべきことを一つ一つ丁寧に、浮かれず沈まずに淡々と行じていくというその生き方が、その対極になりつつある現代人の心に深く強く響くのでしょう。

合掌

ヨガはご覧のような雰囲気で行われています。床もみじで人がごった返ししていた水月庵も冬は静かな場所に。この日も残雪を眺めながら、太陽の光が降り注ぐあたたかな雰囲気でした。


水月庵へと続く境内。石の上を注意深く歩きながら、水月庵を目指します。


お寺ヨガは今年も毎月2回、うち1回は坐禅ありで続いていく予定です。初めての方も、熟練の方も大歓迎です。より本格的にヨガを学びたい方には先生のスタジオyogatocoさんをご紹介しています。お得な回数券もありますので、興味のある方はぜひお問い合わせください。

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2月はまもなくですが7日(土)のお寺ヨガの会で坐禅があります。ヨガのみの会は24日(水)に予定、いずれも14時開始です。末尾にQ&Aも掲載しますので、ご興味のある方はぜひご参加ください。身体と心をしっかりと見つめる時間を提供いたします。

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